あさが来た|困難を極めた淀川生命の合併・誕生!モデルは大同生命!

 

朝ドラ『あさが来た』では、加野銀行を大阪金融恐慌が襲います。

 

多くの銀行が預金の支払いを停止する中、加野銀行は無条件の預金払い戻しに

応じると言った思い切った策に出ます。

 

これはあさが渋沢栄一の言葉や銀目停止を乗り切った際のことを思い出したから

ですが、同時にあさは加野生命の改革も提案しました。

 

加野生命は栄三郎の発案によって、名古屋の生命保険会社を買収したものです。

 

乱立気味の生命保険会社の中にあっては経営もパッとせず、

しかも今回の大阪金融恐慌ですから、その経営の立て直しは急務となります。

 

あさは加野生命の改革のために、他の生命保険会社と合併することを

提案します。

 

そしてこの提案に従って、加野生命ら三社が合併して誕生するのが

淀川生命です。

 

これらのエピソードは史実の大同生命の誕生を下敷きにしていますが、

これが困難を極めました。

 

旧大同生命

(ヴォ―リスの設計した旧大同生命本社ビル)

 

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困難を極めた淀川生命の合併・誕生! モデルは大同生命!

 

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ドラマの加野生命のモデルの朝日生命は、明治35年(1902年)に

東京の護国生命と北海道の北海生命と合併して、大同生命として生まれ変わりました。

 

この時期には乱立気味の生命保険業界も、日本生命や明治生命、帝国生命といった

「勝ち組」が徐々に台頭し、会社の規模を拡大していたころです。

 

大手に対抗するには大手になってしまえ! ということで

広岡家が経営が赤字だった護国生命と北海生命に声をかけて実現したものです。

 

しかし、この合併は思いのほか困難を極めることになります。

 

と言いますのは、広岡家としましては合併後もイニシアチブを握りたい

ところでしたが、それに対して護国生命と北海生命の経営者が反発します。

 

なぜなら当時の朝日生命も赤字ではなかったものの、

さほど利益を挙げていなかったからです。

 

仮に朝日生命が大きな利益を挙げていて、他の二社を吸収合併するのなら

話は比較的すんなりといったと思います。

 

しかし母体となる朝日生命もそれほどの売上ではなかったことから、

あくまでも三社間の合併は対等合併に近いもの。

 

とすれば、護国生命や北海生命の経営者たちも、

合併後の利権を主張し合いますよね?

 

恐らく「ああでもない」「こうでもない」といった議論や主張がなされて、

一時は合併の話も流れかけます。

 

しかし炭坑を売却して、生命保険業にも活路を求めていた広岡家にとっては、

この合併話はぜひともまとめなくてはならない重要な案件です。

 

そこで広岡家が大役を任せたのが、ドラマの山崎平十郎のモデルの

中川小十郎です。

 

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温和で人望のあった中川は粘り強く他の二社の経営陣と交渉して、

何とか合併をまとめます。

 

しかも新たに誕生した大同生命の社長には広岡家の広岡正秋(栄三郎のモデル)

が就任し、広岡信五郎(新次郎のモデル)も役員に就くなど、

経営のイニシアチブを獲得することにも成功します。

 

中川小十郎は加島屋で働いたのは5年ほどでしたが、この合併案をまとめたことこそ、

中川の加島屋時代の最大の功績と言っても過言ではありません。

 

ドラマとは異なり、中川はヘッドハンティングのような形で加島屋に入社しましたが、

これは中川の能力と人格を見抜いた浅子や正秋の手柄とも言えるでしょう。

 

このようにリアルの大同生命の誕生は非常に難産だったのです。

 

ちなみに大同生命の「大同」とは、小異を捨てて大同につくという故事

をもとにしていますが、個人的には同社の合併までの経緯をも反映している

ように思えてなりません。

 

ドラマでは終盤ですし、あまり尺もないことから、トントン拍子

話が進むようです。

 

しかし実際には困難を極めましたし、中川が流した汗も計り知れないもの

だったのです。

 

このエピソードはドラマのへぇさんこと山崎平十郎がもっとも輝く瞬間と

期待していましたが、ちょっと残念ですね~

 

へぇさんの辣腕ぶりも見たかったですし…大同生命は史実の加島屋が手がけた

もっとも成功した事業でしたし…

 

ですがこの淀川生命こそ、ゆくゆくは加野屋の中核を担う事業に成長していくことに

なります。

 

期待しましょう!

 

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